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「豊かさ」「ゆとり」「やさしさ」を排し、「うれしい」を求める――鳴戸道郎さん(富士通顧問、トヨタIT開発センター代表取締役会長)

2009/04/06 16:07




人ありて、我あり【奥田喜久男】

<1000分の第30回>


 コンピュータ産業史上、最も大きな国際間紛争といわれたIBM・富士通紛争で、富士通の事業管理部長として交渉の矢面に立った鳴戸道郎さん。2007年11月、この事件の経緯を、小説『雲を掴め 富士通・IBM秘密交渉』(日本経済新聞出版社)として世に問うた作家・伊集院丈は、実は彼のペンネームである。そのほか、英ICL社の買収・経営に携わるなど、国際派ビジネスマンとして世界を股にかけて活躍した鳴戸さんは、「人生に悔恨の情はない」と言い切った。【取材:2008年10月17日、富士通本社にて】

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。

 奥田 鳴戸さんはいろいろな役職に就かれていますが、最近は、どのような領域に興味を持っていらっしゃるのでしょうか。

 鳴戸 先年、大病をして生死の境をさまよってから「7割操業」を守っています。ですから仕事もだいぶ絞って、いまはトヨタIT開発センターのほかは、財務省関連の知的財産情報センターとNPO法人の産業技術活用センターくらいにしています。NPOの仕事は、死蔵している技術を中小企業やベンチャー企業が利用できるようにするものですが、なかなか難しいものですね。関心を持っていることといえば、日本そして日本経済がこれからどうなっていくのかということと、これは仕事にも関連しますが、IT業界がどうなっていくのかということですね。

●米の金融崩壊では、底が見えないことが問題

 奥田 ぜひ、日本経済の今後についてうかがいたいですね。

 鳴戸 ご存じのように9月15日にリーマン・ブラザーズが破綻しましたが、その影響は甚大で、やはりこれはアメリカの財務省とFRB(連邦準備委員会)の失態といえます。問題は金融の世界から実需の世界に及んでおり、グローバルで需要は3割ほど落ち込むのではないかと私は見ています。需要が3割減るということは、10社が競合しているとそのうち3社が潰れるということです。事実、アメリカでは個人消費が冷え込み、放送のデジタル化を控えて好調なはずのテレビが全然売れていません。自動車も同様です。おそらく、完全回復までに5年はかかるでしょう。ただ、底がどこなのかが見えない。それが問題です。

 奥田 なぜ、底が見えないのでしょうか。

 鳴戸 1989年にベルリンの壁が崩壊し、アメリカ一強主義の時代になりましたが、同時に金融資本主義も進みました。そして、2001年のセプテンバー・イレブン以降のアフガン侵攻・イラク戦争によってアメリカは疲弊し、世界に対する政治的影響力も低下してきたわけです。そこに、今回の金融バブルの崩壊です。アメリカは、他国の支援なしでは立ち行かないほど経済的にも落ち目であることが明確になりました。

 一番の問題は、金融商品(デリバティブ商品)が膨大な金額まで積み上がってしまったことです。一説には2京2000兆円といわれていますが、この金額は世界のGDPの5倍にあたります。ここに大きな穴が空いてしまうのですから、まさに金融資本主義の末期的症状といえるでしょう。

 デリバティブの特性として、証券化、レバレッジ、ファンドの三つが挙げられますが、証券化はサブプライムローンのように、中身に何が入っているかわからない金融商品に投資する仕組みですから、債権者と債務者という関係が明確に見えない。つまり、最近頻発している“毒入り”加工食品の問題同様、トレーサブル(追跡可能)でないため不安感だけが増幅し、誰も大丈夫だと言えないわけです。ここが底が見えないといった所以です。それが80年前の大恐慌とは異なる点でしょう。

 レバレッジは「てこ」の原理ですから投機性を高める効果がありますし、ファンドも裏に秘密部屋があるようで透明性に欠ける。こういうものが、限られた世界だけでなく表舞台に登場してしまったわけで、もう「投資」と「投機」の区別がつかなくなってしまった状態といえるでしょう。

 奥田 なるほど。それでは、どんな対応策をとればいいのでしょうか。

 鳴戸 今は何もしないことです。嵐の真っ只中にあるのですから、動けば大当たりか沈没かのどちらかでしょう。1か月間でこれだけ世の中が変わってしまったのですから、政治も、経済の安定と国民の安全を守ることだけに専念してほしいですね。

 第二次世界大戦に負けたとき私は10歳でしたが、神戸の三宮や元町のガード下で、冬場は毎日10人の子供が凍死するような悲惨な状況でした。失業率も、今と比べものにならないほど高かったのです。しかし、それでも「働けばよくなる」という希望がありました。今は物質的にははるかに豊かになっているのに、みんな、未来への希望ではなく不安を抱いている。これは精神的につらいところですね。

●残業を残業と思わなかった幸福な時代

 奥田 夢というお話が出ましたが、鳴戸さんは富士通に入社し、最先端のコンピュータ業界でどんな夢を抱いていたのでしょうか。

 鳴戸 当時は池田敏雄さん(専務)が世界最速のコンピュータをつくるという夢を持っていましたし、富士通の半導体事業部がはじめてLSIをつくったということで、みんな希望に燃えていましたね。

 ですから、みんな仕事が楽しくて仕方がない。帰る時間がもったいなかったのです。残業を残業と思わず、土日もなし。私の場合は週に2日は会社で寝泊りしていました。部下にも月200時間以上の残業をさせて、その部下の奥さんから苦情の電話をもらったりしましたが、彼らも無理強いされているのではなく、好きで来ていたのです。私自身も、自分の時間といったら睡眠時間と通勤時間しかない。夕方になって腹が減り、昼食をとらなかったことにはじめて気づくといったこともよくありました。でも、幸せでしたね。

 奥田 そんな話をうかがっていると、80年代のマイクロソフトやアスキー、最近でいえばグーグルの社員の働き方を連想しますね。

 鳴戸 そう言われればそうかもしれません。私が入社した1962年頃は、まだ富士通全体がベンチャーのようなもので、組織になっていませんでしたから。最初は本社の企画部門に配属されたのですが、風邪をひいたら上司に怒られるような職場でした。「この忙しいのに、なんで風邪をひくんだ」と(笑)。会社として落ち着いてきたのは、1964年の東京オリンピックが終わってからですね。

 当時の富士通は、思い通りに好きな仕事をさせてくれる会社でしたが、給与は同業他社より低かったと思います。何でも内製するため従業員数が多く、1人当たりの売上高が低いのです。ただ、会社全体としては儲かっていまして、一時は経常利益率が40%を超えていたときもありましたね。

●M&A相手に自社の文化を押しつけてはならない

 奥田 それはすごいですね。ところで、企画畑が長かったそうですが、具体的にはどんな仕事をされていたのですか。

 鳴戸 経営分析もしましたし、M&Aのようなことも手がけました。たとえば、資本参加していた神戸工業(旧・川西機械製作所)は真空管製造などに強みを持つ会社で、富士通にはいない機械系の優秀な技術者がたくさんいました。そこで私は社長に合併を進言し、1年がかりでそれを成し遂げました。1968年のことです。

 奥田 M&Aというのはまだめずらしい時代だと思いますが、合併にあたって抵抗はありませんでしたか。

 鳴戸 確かにありました。なぜかというと、富士通が神戸工業を同化させようとしたからです。つまり富士通の精神や文化を、他人に強要してしまったわけですね。これはよいことではありません。合併相手はそのままの形で特徴を活かし、連結で利益を最大化するほうがはるかに効率的です。ですから、その後に買収したイギリスのICLのケースでは、いっさい同化させませんでした。

 奥田 そのICL買収のいきさつをうかがいたいですね。

 鳴戸 最初に関心を持ったのは、1968年のことです。この年、私はヨーロッパ視察旅行に出かけたのですが、その目的は三つありました。一つはフランス五月革命後の議会選挙でド・ゴールがどうなるかを見ること、二つ目はECの域内関税撤廃(68年7月1日実施)でヨーロッパ諸国の様子がどう変わるかを見ること、そして三つ目が、この年、国策によって3社が合併してできたICL(International Computer Limited)の視察です。ICLでは1900シリーズという巨大なマシンをリリースしており、とても富士通ではこんなものをつくれないと思いましたね。当時のICLはIBMに次ぐ会社ですから、「すごいな」と思うばかりでしたが、関心はずっと持ち続けていました。

 ところが、その後、富士通の業績がよくなると、チェースマンハッタン(現・JPモルガン・チェース)から、ICLの株を持たないかという話が舞い込んできました。社長の小林大祐さんは「こんな会社を買いたいな」と言っていましたが、わずかな比率であっても買う余裕はない。でも、このとき私は、いつか買ってやろうと思ったのです。

 富士通では1974年に発表したMシリーズが好調なものの、国内需要はそれほど期待できません。そこで、コストダウンのためにアムダールやシーメンスに売り込むとともに、ICLとも提携を結びます。これが1980年のことですから、私が視察に行ってからすでに12年が経っています。そして買収したのは、その10年後の1990年です。ずいぶん時間をかけましたが、自分の部屋となった会長室からテムズ川を見下ろしたときは感無量でしたね。

 奥田 そんな大きな会社を買収することについて、社内での反対はなかったのですか。

 鳴戸 当時、富士通には32人の役員がいたのですが、社長の山本卓眞さんを除いて全員反対です。買収額は1800億円でしたが、イギリスの国策会社であり、日本でいうなら三菱重工を買収するようなものですから、大変な批判を浴びましたね。俺たちの稼ぎをそんなところに使うなと。

 奥田 鳴戸さんのことは昔から、先を読む力と決断力のある人だと思っていました。

 鳴戸 ええ、私自身、先を読みますし、すぐ決断するほうだと思っています。だからすぐに実行して、いつも物議を醸すんだけど(笑)。

 日本企業が欧米の企業を経営するというのは、やはりなかなか難しいものです。アメリカのアムダールもそうですが、親会社である富士通に対して、金と技術を引き出そうとするくせに「口は出すな」と言う。その点でトヨタは、一番うまくやっていると思いますね。その理由は、自分たちのことを「日本企業」ではなく「三河のトヨタ」だと思っているからです。

●トヨタには嫌いな言葉がない

 奥田 なるほど。現在は、トヨタをメインにして仕事をされていますが、鳴戸さんはトヨタイズムをどう受け止めていますか。

 鳴戸 トヨタイズムは全世界に通じますね。そして、私はまだ7年しか籍を置いていませんけれど、非常にトヨタが好きです。それは、自分が嫌いな言葉がトヨタにはないからです。

 奥田 嫌いな言葉……、ですか。

 鳴戸 私は、「豊かさ」「ゆとり」「やさしさ」という三つの言葉が好きになれません。なぜなら、豊かさを求めることは堕落の始まりだからです。ゆとりイコール怠惰です。やさしさは癒しであり、敗北者の言葉です。トヨタにはこの三つの要素はありません。つまり、豊かでない会社、ゆとりのない会社、やさしさのない会社なんですね。

 奥田 その対極にあるのはなんでしょう。

 鳴戸 「根性」と「努力」ですよ。トヨタでは努力の上に、また努力がある。たとえば、10人で回していたラインを9人で回してみる。「できた!」と言って拍手です。そうしたらもう1人抜いて8人でやってみる。今度も「やればできるじゃないか!」と拍手です。こういうトヨタ式でやれば、どこの企業でもすごく儲かりますよ。

 奥田 しかし、豊かさもゆとりもやさしさがなかったら、社員が居つかなくなってしまうのではないですか。

 鳴戸 いや、トヨタの社員は「うれしい」のです。トヨタでは「うれしい」という言葉が多用されます。たとえば「たくさん働けてうれしい」とか、技術的な議論の中でも「うれしい(ワクワクするような)ものがない」といった表現です。そして彼らは、自社が2兆数千億円の利益を上げるトップカンパニーであるという話題を嫌います。目立ったり、自慢することは理念に反するわけですね。儲かって当たり前という感覚です。

 奥田 まさにトヨタイズムが浸透しているというわけですね。では、他社に目を転じてパナソニックの改革はどうご覧になりますか。

 鳴戸 「中村改革」の評価はさまざまですが、これによって変わったことは間違いありません。いずれ有機ELに取って代わられることがわかっているプラズマテレビになぜ社運を賭けたかというと、中村会長が大坪社長にムチを入れて、みんなを走らせるためと見ることができるでしょう。大坪さんが走れば、周りの人たちもいっせいに走る。横の様子をうかがいながら走っている会社は、たちまち業績が急降下します。ですから、その狙いは成功したと思いますね。

●会社の人間関係は捨ててもいい!?

 奥田 それははじめて聞きました。私も経営の参考にしたいと思いますが、ほかに何か経営の極意はありませんか(笑)。

 鳴戸 組織において、仕事を優先させるか人間関係を優先させるかというのは永遠の課題です。これは経営にも通じることだと思いますが、私は、自分がしたい仕事をするためには人間関係を悪化させることも意に介しませんでしたので、仲のいい人というのはほとんどいません。ただ、今思えば、それでいいのかという気持ちもあります。

 奥田 それで、悔恨の情はありませんか。

 鳴戸 それはない。人生、大成功です(笑)。会社の中では人間関係にはさほど意味はありません。会社は利害関係で動くものだからです。もちろん、心の通じ合う友達は別に必要ですが、会社では利害関係がなくなったら人間関係もなくなるものです。仕事は自分の記憶に残ります。だから後悔はありません。

 ただ、仕事を進めるうえで最低限の生活技術は必要です。つまり、四面楚歌の状況になっても、相談できる誰かがいるということが重要。私の場合、本当に困ったときには元社長の岡田(完二郎)さんのお墓に参って考えたり、後に副会長になった半導体事業部長の安福眞民さんに相談しました。彼は変わり者扱いされていましたが、非常に信頼できる人物でした。そのやりとりは次作の小説に書きましたが、役員全員に反対されたアムダール社の買収は、この安福さんの協力なしにはうまくいかなかっただろうと思います。

 奥田 しかし、よく役員全員の反対を押し切って、実行に移せましたね。

 鳴戸 相手がどんなに偉い人でも、私は人の言うことを聞きません(笑)。そういう意味では、自分は企業にいましたがサラリーマンではなかったと思います。だから、いまでもサラリーマンの友達は少ないですよ。つき合っているのは、蕎麦屋の親父とか魚屋とか大工さんなどですから。

 奥田 今日はいろいろと興味深いお話、ありがとうございました。経営者としても参考になりました。明日から社員に対して、ちょっと厳しく接しようかと思います(笑)。

■プロフィール

鳴戸 道郎(なると みちお)

 1935年3月静岡県生まれ。1958年東京大学法学部卒業。1962年富士通信機製造株式会社(現・富士通株式会社)入社。1985年同社取締役就任。1994年ICL plc 会長、富士通株式会社専務取締役。1998年同社副会長。2000年株式会社富士通総研会長。2001年6月には、名誉大英勲章を受章。現在、株式会社トヨタIT開発センター代表取締役会長、富士通株式会社顧問、NPO法人産業技術活用センター理事長などを務める。


※初出:「WebBCN」2008年11月25日

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