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売上げの半分は海外市場で上げる--牧 誠さん(メルコホールディングス代表取締役社長)

2009/04/08 12:56




人ありて、我あり【奥田喜久男】

<1000分の第19回>


 牧さんに初めて会ったのは、1981年にP-ROMライターを発売した時で、名古屋の自宅兼工場を訪ねた。以来、その発想力、行動力には圧倒され続けてきた。現在は海外市場の開拓に全力を上げている最中だが、海外に出ていかない限り日本企業に大きな未来はないのだから、ぜひ成功させてもらいたいものだ。久しぶりに会って、「この人なら大丈夫だな」と改めて感じた。【取材:2007年11月30日、バッファロー東京支店にて】

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。

●アルバイトのはずが、そのまま就職

 奥田 牧さんて、早稲田大学では応用物理学を専攻、大学院では半導体の表面物性を研究していたんですよね。普通なら半導体業界に進むのでは?

  私のいた研究室は、半導体業界ではそれなりに名前が通っていましたから、通常なら引く手あまたで、行きたい企業に就職できたはずなんです。ところが、私が大学院を卒業した1973年という年は、トランジスタ不況の真っ只中で、半導体業界からの求人はまったくありませんでした。

 だけど私、この頃にはオーディオにはまっていたことや、結婚したら名古屋に帰らねばならないことなどから、多分、大手の半導体メーカーには就職しなかったと思います。それにしても、人生の岐路って不思議だなと思うことがあります。

 奥田 そうそう、オーディオに入れ込んでいたんですってね。後のことですが、「メルコの牧さんてあの牧さんなの?」って尋ねる人に会ったことがあるんです。なんで?と聞くと、牧さんがラジオ雑誌に連載していたオーディオに関する先鋭的な論文、楽しみで楽しみで、次の号が出るのを首を長くして待っていたというんですよ。

  大学院生の頃、そんな論文書いていたことがありますね。じつは、大学院生の頃は、秋葉原にあったジムテックというオーディオメーカーでアルバイトしていたんです。ラジオセンターのオーナーが趣味を兼ねてやってたんですが、世界で一番いいアンプ作ってくれとおだてられて、その気になって設計に没頭しました。

 ところが、院の卒業間近になっても設計が終わらない。3月のある日、社長に呼ばれて、すでに開発費を何百万円かつぎ込んでいるんだから、卒業までには何とかしてくれるんだろうな、と念押しされてしまいまして…。それで、開発が終わらなければ責任が取れないと思ってジムテックに入ることにしたんです。じつは、別の会社に就職が決まっていたんですよ。エヌエフ回路設計ブロックという計測器のメーカーで、弱電に興味がある人間にとっては、非常に魅力的な会社でした。

●競争と協調の大切さ学ぶ

 奥田 そんなことがあったんですか。確かに人生の岐路って不思議ですね。

  小さなメーカーでしたが、その社長がいろいろな人を紹介してくれて、秋葉原の裏がよくわかりましたよ。秋葉原の電気街っていうのは、競争と協調のバランスがうまく取れているんですね。

 例えば、これは私の創作ストーリーですが、店主同士が麻雀をやっていて、「お前さんのとこ、ソニーのテレビの安売りやってるな、ちょっと安すぎるぞ」「悪い、悪い。押し込まれちゃってさ、まだ在庫残ってるんだ」「今度の土日までは我慢するけど、その先はダメだぞ」ってというような会話が交わされていたと思うんです。競争しながら、協調すべきところは協調する、これってものすごく大事なことですよね。

 これはメルコ創業後の話なんですが、名古屋の大須というところは、全国一の安売りの街として知られていました。隣同士のつき合いがなく、競争だけが先行していたためです。それで、ある店の店長に秋葉原の例を紹介して、仲立ち、つなぎ役をやったらと勧めたことがあります。その店長がいろいろ動いて、できるだけみんなが会える機会を作っていった結果、気心が知れてきて、協調の機運も生まれてきました。

●実の親は立志伝中の人物

 奥田 結婚したら名古屋に戻るとおっしゃいましたが、どんな経緯があったんですか。

  経緯といってもね。ちょっと複雑で…

 奥田 牧さんの口からは言いにくそうなので、私の知ってる範囲で紹介してみましょうか。牧さんの実の父親は発明家で、島田屋(現:シマダヤ)といううどんメーカーを創業、「栄養玉うどん」などで当てて、東京にも進出、松山善三氏が当人をモデルにした小説を書くなど、一種の立志伝中の人物だった。牧さんは四男で、跡取りのいない本家に養子に出され、親同士の間では、結婚したら名古屋に戻るという約束が交わされていた――と。

  まあそんなところですね。

●アンプの設計製造でスタート

 奥田 私、牧さんの行動力の源泉の一つは、実の親を見返してやりたいと思っていたからかな、などと考えたこともありましたが、それはおいて、創業時の話を聞かせてください。1975年5月に「メルコ」を設立なさったわけですが、創業商品はオーディオだったんですね。

  最初は半導体メーカーなど弱電メーカーに就職するつもりだったけど、名古屋には弱電系メーカーはなかったんです。じゃ自分でやるかと、けっこう安易に考えてましたね。

 前の会社でアンプはやってましたから、自宅でアンプの設計製造を開始、私が物を作り、友人が売り歩くという形でスタートしました。立ち上がりは結構順調だったんですが、1年後くらいにぱったり売れなくなりました。

 奥田 オーディオ系商品の浮き沈みはかなり激しかったですね。

  調子に乗って作りすぎていたものですから、部屋中在庫の山。仕方なく、トラックにアンプを乗せ、全国の家電店回りをはじめました。お店にいきなり飛び込んで、音を聞いてもらって、置いてもらうという営業です。道のすいている夜中に次の街に向けて移動するというような毎日でした。そんななかで、なぜ売れないんだと自問自答していた。そしたら、お客さんがどんな商品を欲しがっているかをまったく考えず、自己満足で商品を作ったんじゃないか、と気がついたんです。

 その反省に立って作ったのが、78年8月に出した糸ドライブプレーヤー「3533」でした。60-70万円くらいの商品でしたが、一気に数百台の受注が来て、半年分くらいの受注残を抱えるほど。ところが、10か月後に大手メーカーが同じような商品を出してきて、またまた売れなくなってしまって…。

 奥田 技術をパクられたわけ?

  そういうことです。零細企業の悲哀、無力感を感じざるを得ませんでしたね。

●P-ROMライターで周辺機器に進出

 奥田 パソコンの周辺機器にはどんな形で進出なさったんですか。

  ある販売店のオーディオ担当者がパソコン売り場に移って、彼から聞いた一言が転機になりました。挨拶がてら訪ねたら、「パソコンは売れるよ。技術者なんだろう、お宅でもやってみたら」と言われたんです。80年、マイコンブームの頃です。

 その頃、私もマイコンに関心を持って、最初はオーディオ商品の検査に使えないかと考えたんです。検査項目は多岐にわたるので、それぞれプログラムを書き、マイコンに記憶させるわけです。一つのプログラムがあがるつど、パソコン店に行って焼き込んでもらってました。プログラムに一か所でもミスがあると、再度焼き込んでもらわないとならない。面倒くさくなって、焼き込む機械を自分で作ってしまったんです。

 奥田 ああ、それで開発したのがP-ROMライターだったんですか。

  81年7月に「RPP-01」を発売しました。これが売れましてねぇ。当時は、オーディオで月商100万円くらいでしたが、P-ROMライターはあっという間に同じくらい売れるようになりました。

●爆発的に売れたプリンタバッファ

 奥田 プリンタバッファにはどんな経緯で?

  当時、プリンタバッファのアイデアも持ってまして、これなら売れるという自信もありました。ただ、当時はD-RAMが高くて、製品化すると10万円くらいになってしまうんです。プリンタそのものは15万円くらいでしたから、3万円くらいにしないといけない、と考えていました。D-RAMの価格は下がりはじめていましたから、1年後なら3万円で出せるだろう、それまで待とうと決めました。ただ、途中で同じような商品を出してきたところがあり、やられたっと思ったんですが、急いじゃだめだ、それよりマーケティングをしっかりやろうと自分に言い聞かせてました。

 発売したのは82年11月。その直前にニックネーム募集の広告を打ちました。応募で多かったのが「バッファロー」だった。本当はメルコで行きたかったんだけど、すでに商標登録しているところがあり、商品名には使えなかったんです。

 奥田 売れ行きはどうだったんですか。

  予想以上でした。最初は、自宅で作っていて、親父やお袋も総動員、夜中の2時3時まで作ったこともあります。ついに親父が、なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだと、怒りだしましてね。確かに健康の心配もあるし、ということで外部に製造を委託することにしたんです。

 初めのうちは部品調達も任せていたんですが、コスト変動の激しい世界だけに問題があるので、部品は当社が調達、組み立てだけを任せることにしました。

●ファブレスだってメーカーだ

 奥田 ファブレス経営の始まりだったわけですね。

  ファブレスという言葉は私が初めて使いだしたんじゃないかな。91年10月に日本証券業協会に店頭登録する際の話ですが、この時に幹事証券会社になった野村證券の担当者が、「業態は、工場を持っていないので商社になる」と言い出したんです。私はこれに断固反対、工場はなくたってメーカーだと、ファブレスという言葉を使いながら主張したんです。メーカーとして最も重要なのは、新製品を開発する能力、それを販売する能力であり、作ること自体は二の次、三の次の問題だとね。

(ここでポケットから白い錠剤を取りだし口に含む)

●タバコは一時中止

 奥田 あれっ、それ何?

  ニコチンガム。タバコの代わりになめることにしたんです。

 奥田 あのヘビースモーカーが、タバコ止めたの?

  一昨年の8月、軽い肺炎やりましてね、医者に厳禁を言い渡されたの。それでも隠れて吸っていたんですけどね、二度目に病院へ行ったときは、女房もついてきて、医者に告げ口されちゃって(笑い)。

 18歳から吸い始めて、一日3箱は吸ってました。いまは、一時的に休んでるつもりで、部屋にはタバコも灰皿も置いてあるんだけど、別に吸いたいとは思わなくなってきましたから不思議ですね。ただ、頭使うとニコチンが足りなくなり、時々これをなめると落ち着くんですよ。

●大手量販店の寡占化は世界の共通傾向

 奥田 ところで海外には今はどのくらいの頻度で出ているんですか。

  かつては1年の半分は海外に出ていたこともありますが、07年は3分の1くらいでしたね。

 奥田 世界を走り回って、何か気がついたことがありますか。

  興味深い現象がみえてきました。販売界の変化というのは、国によるタイムラグはありますが、突出したところ量販店が市場を支配するようになる、という点です。これはどの国にも共通してワンパターン化しているようにみえます。

 最も寡占化が進んでいるのが英国で、ディクソンズという量販店が家電やパソコンの店頭市場では60-70%のシェアを持つようになりました。企業向けのSierが担当しているコーポレイト市場は別ですが、コンシューマ向け市場では、大手量販店の寡占化が先進国では進んでますね。

 その一方で、インターネット通販の利用者も増えています。英国では家電やパソコンなどのコンシューマ製品ではインターネット通販のシェアが50%を超えたとみられています。量販店より安いことが知られてきたためでしょう。

 奥田 寡占化が進むと、価格の決定権はその量販店が握ってしまうことになるんですか。メーカーとしては頭の痛い現象ですね。

  英国では30-40%の粗利を要求されたなんて話も聞きます。売れ筋商品については、インターネット通販に価格負けしないような値段をつけるわけですが、利益はちゃんと確保、その分メーカーが負担しているわけです。

●日本はドバイと英国の中間に位置

 奥田 国による違いの実例をいくつか挙げてもらえますか。

  インドのネループレイスという都市にある電気街は大きいですよ。秋葉原の何倍もあるという印象です。1階、2階が売り場、3階以上は倉庫、オフィスといったビルが何千軒と並んでおり、お客も結構入っています。

 一方、アラブ首長国連邦のドバイの電気街は5年前は隆盛を誇っていたんですが、今は閑散としていて、衣料品店なども増えています。原油高で、経済が順調に成長していることを背景に、郊外型店や中心地型店が増え、そこにお客を取られているんでしょうね。

 奥田 日本はどの段階にあると思われますか。

  英国とドバイの中間くらいですかね。日本は大型店同士がまだ張り合っていますが、本音をいえばこれ以上寡占化は進んで欲しくないですね。本気で家電の通販をやるところが登場すれば、結構いけるだろうなという思いは強くなっています。

●無線LANの特許侵害はしていない

 奥田 コクヨグループと業務提携を行い、アーベルを子会社化なさいましたね。これはどんな狙いからですか。

  オフィス向け市場でもっともっと強くなりたいと思っているわけですが、コクヨさんは企業の総務部門に深く食い込んでおり、競合する製品もあまりありません。両社が手を組めば、相乗効果が発揮できると思い、私のほうから申し込みました。

 奥田 効果は出てますか。

  徐々に出始めてます。

 奥田 昨年は、無線LAN関連の特許抵触で、米国で販売差し止めの措置を受けましたね。これはどんな経緯なんですか。

  不当な判決ですよ。原告はオーストラリアの政府系研究機関なんですが、本来はチップの問題なんです。現に、インテル、デル、マイクロソフト、ネットギア、ヒューレット・パッカードなどが、原告に対して特許非侵害および無効の確認訴訟を起こしております。

 奥田 それなのにメルコさんがやられたのは?

  当社は原告に対し、真っ先に反論を展開してきたんですが、この真っ先だったことが標的になって提訴されてしまったんです。

 奥田 なるほど。モットーとする素早い決断、迅速な行動が裏目に出たわけですか。

  そういうことです。わが社は絶対にシロだと信じてます。

●ホームネットワークでデファクトスタンダードに

 奥田 最後に、中長期ではどんな経営戦略を描いているのか、お聞かせください。

  パソコンの技術が、家電の分野に染みだしていっています。ですから、分野的にいいますと、デジタルホーム市場の開拓を重視しています。とくに、ホームネットワーク市場では、デファクトスタンダードとしての地位を確立することを狙っていきます。

 また、販売面では、国際競争力の強化を図り、海外市場の開拓にさらに力を入れます。海外市場へ乗り出して約10年たちますが、わかったのは「結局は人材に尽きる」ということです。最低でも英語を話せ、きちんとした仕事のできる人材を育てていきます。10年後には、売上げの半分は海外市場で上げたいと思っています。

 奥田 ありがとうございました。健康に気をつけて頑張ってください。

■プロフィール

牧 誠(まき まこと)

 1948年、名古屋市生まれ。73年、早稲田大学理工学研究科応用物理学専修、オーディオメーカーのジムテック入社。75年5月、アンプの専門メーカーとしてメルコを創業、78年法人化。81年、P-ROMライターを開発してパソコンの周辺機器に進出、82年11月に発売したプリンタバッファが爆発的ヒット商品となり、周辺機器メーカーとしての地位を確立。91年10月、日本証券業協会に店頭登録、95年8月、東京証券取引所市場第二部に上場、96年9月、東証と名証第1部に上場。03年5月、バッファローがメルコホールディングスに社名変更、メルコグループの純粋持株会社として活動開始。
※初出:「WebBCN」2008年3月31日
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